【塾講師】理想の教育は矛盾の上にあるという不安定な事実を知ってほしい。

【塾講師】理想の教育は矛盾の上にあるという不安定な事実を知ってほしい。

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
当時の年齢は25歳くらいです。

【当時の職業】
町の学習塾でバイトしていました。

【当時の住まい】
実家の一軒家で親と同居していました。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
家の近くで働けることや仕事の内容から自分にできることを考えて働き始めました。
講師募集記事が出ていたので応募しましたら、面接を経て採用されました。

【環境と仕事内容】
具体的には、義務教育レベルの学生に対する指導で、英語、算数、理科、数学、生物、化学が担当でした。
生徒50人に対して、個別指導を行うクラスと、黒板で講義を行うクラスを担当していました。
個別指導クラスは、生徒ごとに内容が異なっているので、先生が5人いました。
講義クラスは、各コマごとに先生が張り付くので、3部屋で3人の体制でした。
教員は、1日で5-6人の体制となっており、全体で10人ぐらいの体制でした。
私は、火木土の夕方17:00-19:00を担当していました。

【大変だった時期】
働き始めた最初から大変でした。




【大変だったこと】
 職場で一番大変だったのは、子供たちの勉強嫌いそのものです。
好きな教科は聞いてくれるけれど、嫌いな教科はほぼ聞いていません。
時間だけが経っていくのを狙っている生徒の相手が大変でした。
とにかく基礎だけを教えて簡単な問題が解けるレベルで指導を止めて置かなければ、分からない部分を教えようとすると騒ぎ出す子がいるのです。
 次に大変だったのは、優秀な生徒の場合は、親御さんが出てくることでした。
個別指導の場合は、均等に教える時間を割くことができないのですが、これがクレームになってしまいます。
勉強ができる子の場合は、解答用紙を用意して、どこが分からなかったのかを考えさせて、思考の順序を修正してゆく指導をしていました。
そのため、解答用紙をよく読んで、自分の解答との違いに気づいて貰う必要があります。
しかしながら、そこの部分を一緒に見てあげられるほどの時間は用意されていませんので、それが不満で、親御さんが出てくるのです。

【大変だった期間】
大学院時代の25才から27才までです。




【当時の心境】
優秀な生徒は親が出てくる、優秀でない生徒は駄々をこねる、テキストの予習時間と講義時間がほぼ一緒等、きりがない苦痛がありました。
授業時間は、生徒だけではなく教える側も結構ストレスフルな時間を過ごしていますので、授業が終わったときが一番楽しかったです。
生徒と雑談しているほんの数十分が、当時、先生としてのモチベーション維持に一番効果的でした。

【職場が大変だった原因】
職場が大変だった原因は、学校教育の質が悪すぎて、そもそも塾通いしなければならない教育体制にあります。
皮肉ですが、その御蔭で生活費を稼いでいたことも事実です。




【仕事で良かったこと】
学校のテストの点数が今までよりも上がった話を聞くと嬉しくなります。
手抜きをして教えない部分もあったり、テストには関係がないので、内容を飛ばしていたりしますが、むしろそれを理解してくれる生徒がいると、とても助かります。
たまに、私の代わりに他の生徒に対して、私の思考法を教えている生徒がいます。
勉強とは違う何かが伝わったのかな、と嬉しく思うときがあります。




【特にひどかった最悪の出来事】
今までで一番最悪のケースは、とても優秀な理系の生徒なのですが、とにかく国語が嫌いで、理系教科しか学んでくれない、という子でした。
国語を学ばないため、難解な表現や漢字で書かれた算数の問題に対応できないのです。
基礎基本の問題は難なくこなし、ほぼ満点なのですが、応用になって算数特有の文章問題が出てくると、何が問題なのかが判断できず、答えが書けないという内容でした。
国語は担当外なのでどうしようもなかったのですが、算数の授業中に国語の勉強を教えざるを得ず、今日の予定のページまで進むことができず、時間が消費されてしまいます。
結果的に、算数の授業で国語の勉強をさせられるというクレームが親御さんから出てしまいました。
算数のテキストの進みが遅いという他の先生からの指摘も入りました。
そもそもが、国語の指導に問題が有るのに、こちらのせいにされてしまうという悪循環でした。
この子の対応には苦慮しました。




【相談した人・助けてくれた人】
働いていた塾には、同じ高校の同僚が2名いましたので、よく愚痴をこぼしていました。
時間が経てば担当も変わると言われたときが一番助かったことを覚えています。
問題は解決しませんが、今の苦労は減るので、それが一番の救いでした。

【改善のための行動】
テキストを前もって予習するときに、赤ペンを使って、先生も苦労したり間違ったりしているところを見せていました。
そうすることで、生徒もなぜ間違えるのかを理解できるようになってきます。
最終的には、問題の読み方と覚えた内容の出し方の問題なので、この点に気づいた生徒は点数が伸びていきました。




【現在の状況と心境の変化】
学習塾の講師だった頃から20年以上が経ち、現在は、研究開発にあけくれています。
その上で、webライターとしての仕事もこなしていますので、気苦労の内容がだいぶ変わっていますが、教えてきた数百人の生徒たちがいま何をしているのか心配になることがあります。
当時の声と顔のままで覚えているので、今会っても背格好が違うでしょうからわからないと思います。

【学んだこと】
頑張っても報われないことが有るという現実と、頑張っていなくても評価されることが有るという矛盾を知りました。
人が絡むとかなり理不尽なことが増えることも理解できました。



【当時の自分へのアドバイス】
当時の自分へのアドバイスとしては、何事もほどほどで良かったのではないか、と伝えたいです。
結構な全力投球をしていましたので、もう少し、省エネなやり方で良かったのではないかと思っています。
責任感が強かったことで、教育は人の絡む問題が多く、矛盾したものであることに悩んでいた時期でもあります。
矛盾をそのまま受け入れていれば、もう少し違った人生があったかもしれません。