【塾講師】塾を経営していたが、子供や親からの無理な要求にぶちぎれる日々。

【塾講師】塾を経営していたが、子供や親からの無理な要求にぶちぎれる日々。

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
40歳

【当時の職業】
自宅で塾をしていた。

【当時の住まい】
親と二人で同居の賃貸住宅暮らし。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
その他





【就職のきっかけと経緯】
司法試験を受けていて生活費を稼ぐためにバイト感覚でしていた。
当時は爛熟時代とか言われて塾が林立。
競争が大変だったが、学生のバイトとしては率がよかった。

【環境と仕事内容】
小学生に算・国の二教科。
中学生に五教科を教えていた。
小学生は5名程度、中学生は20名程度だった。
8畳間で机を置いての指導だったが、ぎちぎちだった。
4:3から10:00までが勤務時間。
口コミで集まってくる近所の子どもたちだったので、みんな穏やか。
休日は休み、収入は月20万円程度だったと思う。
サラリーマンよりちょっといいかなと思うぐらい。

【大変だった時期】
20年ほど働いていて、風向きが変わってきた。
個別指導塾が幅を利かせるようになってきたころだ。
学生、親からの要求がエスカレート。
例えば、学生は「先生ここ分からないから教えて」親は「自習室ないんですか?」




【大変だったこと】
一人で教えていたので同僚と言うのはおらず、その点では恵まれているといえるかもしれない。
一番の問題は学生のやる気を引き出すこと。
きんじょの子供が友達を誘ってくるので、仲がいいのはわかる。
でも、不思議と頭がいい子は頭のいい子を、出来の悪い子はまた出来の悪い子を連れてきた。
類は友を呼ぶというあれ。
だから、結構成績に波があって、指導に苦労したのを覚えている。
また、親対応も大変だった。
成績がいい子ほど親も熱心で、保護者会での発言も無理を承知で要求してくる。
だから、一人ではできないことでも、例えば子供の送り迎えでも「やっていただけませんか?」と言われる。
一人で10人の子どもの送り迎えできますか?女の子だから危ないのはわかる。
そう思うなら、親が迎えに来いよ、と言いたくなった。

【大変だった期間】
職場環境は大変じゃなかった。
落ち着いていた。




【当時の心境】
毎日同じことの繰り返しで嫌になることもありました。
でも、これが生活費になるのだと思って一生懸命準備して、できるだけわかりやすい教え方をしようと自分に言い聞かせていました。
当時はまだインターネットもやってなかったし、ましてyoutubeなど見たこともなかったので、本からしか情報は得られず、苦労したのを覚えています。

【職場が大変だった原因】
仕事の性質と新たな職種の登場です。
塾は人気商売です。
学生に飽きられるとすぐ替わってしまいます。
当時は個別指導塾が隆盛を誇ってきていたので、集団指導塾は大変でした。




【仕事で良かったこと】
充実していたのはもちろん子供との授業づくりです。
理科の天気の授業で飽和水蒸気量と言っ実の水蒸気量との関係をわからせたくて表を利用してまとめたことは今でも興奮します。
学生の目がみるみる変わってきて、最後には満足感にかわりました。




【特にひどかった最悪の出来事】
若かった私は、冗談のつもりで子供に投げかけた言葉が、実は子供を傷つける言葉だと分かっていませんでした。
いくら教えても伸びない学生に、「親は何してたの?基礎ができてないんだよ。」と言ったことがあります。
その子のご両親は共働きで、その子は学童保育に出されていたのです。
親がかえって車でみんなと一緒に遊んでいるところでしょう。
そんなところで勉強なんかできるわけないのに…。
今考えるとかわいそうなことを言っていたなと思います。
また、太った女の子がいました。
成績は良くできるのだけれど、みんなの前で、「お前の足、アイスホッケーのキーパーみたいな足やな」とからかったことがありました。
その時は明るく「イヤ〜。」と言って笑っていたけれど、みんなの前で笑われて、どんな気持ちだったろうと思うと、今でも自分を殴りたくなります。




【相談した人・助けてくれた人】
自分が塾長の立場なので、私に届く言葉はみんなまずいいことが多かったです。
でもそんな中でもぐさりと胸に刺さるものはありました。
自分で解決できないような精神的な悩みは、幸い母が相談に乗ってくれました。
相談に乗るというより、人間としてやってはいけないこと、それをさらりとアドバイスしてくれるという感じでしょうか。

【改善のための行動】
収入を増やそうとして、ハイクラスコースと銘打って新しくクラスを作りましたが、同じ人間がそんなに違う教え方ができるわけではありません。
一度は受けに来た学生も「なんだ同じじゃん」と言うわけですぐにやめてしまいました。




【現在の状況と心境の変化】
生活費を得るために塾を初めてすでに50年が経ちます。
司法試験の勉強をつづけながらの塾でしたが、60歳まで40年間続きました。
老朽化も手伝って閉めてしまいましたが、今でもあの頃の興奮は忘れられません。
若い人にはエネルギーがあふれています。
それが私にも伝染して、頑張ろうという気にさせてくれていたのかもしれません。

【学んだこと】
誰かのために夢中になってやることは自分を裏切らないと思い庵ました。
今でもアイデアはひらめきます。
枯渇することはありません。
掘れば掘るほど井戸の水はわいてくるのだと思います。



【当時の自分へのアドバイス】
子どもの心と授業のバランスを取りなさい。
子供は授業だけを受けにきているのではありません。
あなたや友達との交流を求めているのですから。
教え込むのではなく、相談相手でいいと思います。
こうしたほうがいいんじゃない?こういわれると学生ははっと気づきます。
気づくまで、じっと我慢して待ちましょう。
その根気があなたには欠けていたのです。