【塾講師】大学1年生で個別塾のバイト。学生ならではのバイトにやりがいを感じ最初の1年は順調だったものの、2年目で問題児兄弟を受け持ち、大苦労!

【塾講師】大学1年生で個別塾のバイト。学生ならではのバイトにやりがいを感じ最初の1年は順調だったものの、2年目で問題児兄弟を受け持ち、大苦労!

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
20歳

【当時の職業】
千葉県にある市進学院系列の「個太郎塾」でアルバイトをしていました。下は小学生、上は高校生まで高校の数V・C、理系科目以外はすべて教えていました。

【当時の住まい】
同じ千葉県内にある実家の賃貸一軒家で、親など家族と同居

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
大学に入学したてで、高時給かつ大学生でも活躍できる(と思っていた)アルバイトを探していたため。
受験勉強でやってきたことが誰かの役に立てるなんて素敵だなと、半分夢を見ていた。
1コマ80分で、週1回2コマ〜シフトOK(実際はそんなわけにはいかなかったですが)とあり、学業との両立が可能だと思ったため。

【環境と仕事内容】
具体的な仕事内容:塾長と相談し、その子その子にあった個別カリキュラムを組む(保護者との面談など込み入ったやりとりは塾長)
規模:私が在籍していたところは、ひと教室あたり小学生〜高校生までで生徒60人ほど
教科:個別対応の塾なので、基本全教科、どのレベルにも対応可。
私の担当していたのは小学生〜高校生で、数V・Cと理系科目を除いたそれ以外のすべて。
(漢文は依頼されたことがなかったですが)
職員の人数:塾長ひとり(正社員)に、あとの先生はすべて大学生か院生のバイト。
入れ替わりはありましたが、常時7〜8人の先生は在籍されていたように思います。
役職:塾長以外はみな一律のアルバイトです。
自分のポジションもアルバイトでした。
生徒の様子:小学生であっても、塾への要望はさまざまで、学習にそもそも遅れがあるので小学校の基本的なドリルでもこなすのが大変な子から、中学受験のために集団塾に通っていてその補完のために個別塾を使われる方。
中学生でも、中高一貫校で高校受験はないけれど学校の授業についていくために通ってる方から、普通の偏差値50レベルの公立高校受験のために通われている方。
など本当に生徒さんの幅は広かったです。
もちろん、高校生くらいになると一律「大学受験のため」となるのですが、小中学生は通塾目的もバラバラだったため、いろいろなお子さんがいました。
個別指導なので、生徒さんが結構親近感を持ってくれることが多く、修学旅行のお土産でキーホルダーをくれた子もいました。
親の様子:直接親御さんとやりとりすることはなく、基本は塾長対応でした。
あるとすれば、例の「学習に遅れがあり小学校のドリルでもたいへん」な兄弟を教室まで送迎されて室内に入ってくる親御さん(基本親御さんは教室内に入ってこないので)へ、その日の様子や、学習の内容、褒めポイントなどをお伝えする流れになったときの様子で、「いつもウチの子がすみません〜」みたいなさらっとした感じでした。
勤務時間:基本的にアルバイトたちは午後2時〜10時30分までの、自分の担当コマ+授業前30分は準備時間(授業後もレポートを書くので必然的に居残り)
休日:担当コマによりました
給与:確か、1コマ1,600円だったと記憶しています(2005〜2006年の話です)
寮などはありませんでした。

【大変だった時期】
大学1年制で始めたバイトを1年ほど続けて大学2年生になった年が特に大変でした。




【大変だったこと】
上にも書きましたが、兄弟(上の子が5年生、下の子が2年生)の「学習についていくのが大変な兄弟」の授業がとにかく大変でした。
そもそも、規定の1コマ80分はもたないので、特別に80分を40分×2に分けて対応していましたし、(なので給与的には1コマですが、準備も疲労感も2倍)今考えれば、本来は支援級にいかれるようなグレーなお子さんを、親御さんの「なんとか普通級についていかせたい!うちの子は普通だ!」的なお考え、ご意向で個別塾に通わせていたような印象です。
勉強の習慣をつけたい!というのがご意向の軸だったように記憶しています。
基本、やる気がない。
座れない。
中学受験の補完として個別塾に来ている小学生とは雲泥の差でした。
また、これはあるあるだと思いますが、途中で退職された先生のコマがまわってきて、家でも準備を行わなければならなくなり、1コマあたりの給与では割に合わなくなってきたことが大変でした。

【大変だった期間】
例の小学生の対応は、結局私が大学2年生の冬に辞めるまで続きました(4月〜12月くらいのイメージです)




【当時の心境】
生徒さんの成績が伸びたり、一度受け持った生徒さんの成長を年間通して見守る。
という使命感というか責任感とやりがいはある程度は感じていましたが、上記の小学生兄弟の対応が私にまわってきたあたりから、「これでも同じ給与か」とか、「こんな鼻くそ対応するために塾講師やりたかったんじゃないよな」とか、「準備分の受給ももらわないと割に合わない」とかいろいろな感情が渦巻いてきました。
それでも、先にもあげたように、生徒さんが修学旅行のおみやげのキーホルダーを買ってきてくれたり、「先生先生〜」と慕って来てくれたときは素直に嬉しく、勉強以外の相談もしてくれたり、心を開いてくれたと感じられたときはやりがいと楽しさを感じていました。

【職場が大変だった原因】
「こんなものだ」という割り切りができなかった自分のせいでもあるのかなと。
今となれば、いろいろなお子さんがいるのも重々承知ですし、年齢とともにある程度は受け入れられるようになったのかなと思います。
でも、塾長も見て見ぬ振りというか、親御さんに決してズバッと言わないし、鼻をほじって授業にならないとか、面倒見きれません。
とか。
せめて、同じ1コマの賃金扱いではなく、何か別手当をつけてもらえれば(そんなこと不可能ですが)、こちらの気持ちも違ったのかなと思います。




【仕事で良かったこと】
月並みですが、やはり生徒さんたちの合格だったり、定期テストの成績が伸びたり、生徒さんに慕ってもらったときです。
上にも書きましたが、生徒からの勉強以外の相談(恋愛とか)だったり、毎回嬉しそうに授業に来てくれる子なんかを見ると、こちらも非常に嬉しく、やりがいがありました。




【特にひどかった最悪の出来事】
上記の兄弟の話ですが、上の子ですら、まともにドリルを進めるのが大変で、鉛筆もかじったりなめてみたり、とにかく、その手で触った同じところ私も触らないといけない!というシチュエーションで不快でしたし、
下のお子さんの40分が本当に苦痛で、まず、基本ずっと鼻をほじっていて、ほじったものをこねこねして机にこすりつけたり、ドリルにつけたり。
まともに鉛筆をにぎってくれた日はラッキー。
みたいな感じでした。
いすに40分座っていられればその日は順調。
鼻をほじったその手でこちらの白衣(先生は全員支給された白衣で授業を行う)を触ろうとするし、机に絵を書くなんて当たり前で、なんとかなだめて1ページでも進めようと必死でした。
なぜか、白衣のほかにこちらの髪の毛なども触ろうと(ひっぱろうと)してきたりで、とにかく「託児所じゃない」と思いながら、何か親御さんにいい点を報告してあげなきゃと、褒めポイントを探すのに必死で、今考えれば謎な努力でした。




【相談した人・助けてくれた人】
相談しても無駄だということがわかっていたので、しませんでした。
単発的にその兄弟を請け負ったことのある他の先生からは、「あ〜あの兄弟、たいへんだよね〜」とさらっとした同情の言葉をいただきましたが、塾長から私に引き継がれた生徒さんですし、きっと塾長もその兄弟の授業がたいへんで、「あの先生なら文句も言わずだいじょうぶだろう」と思って、私に頼んだのだと思います。

【改善のための行動】
最初は、自分の教え方が悪いのか、とか、次はこういう言葉がけをしてみよう!(単にやろう!ではなく、できたことをテンション高めに褒める「え〜!今日はちゃんと座れたね!かっこいい!」とか)などと試行錯誤しましたが、なんか自分が空回りしている感じと、「こんなことするために大学生ならではのバイトをしたかったのではないな」と妙なプライドが出てきてしまい(若かったですが)、そのうちあえて特別な対応はしなくなりました。
最低限やって、時間がすぎるのを待つ感じになってしまった。




【現在の状況と心境の変化】
当時は、もう辞める(退職する)しか、ここから逃れる道はない!という状態まで思いつめてしまった。
退職して実際にラクにはなったが、本来の塾にきているような生徒さんを教えて、成績を一緒に喜びあったりなどの目的というか、達成感は失われてしまって、「こんなはずじゃなかった」感が残った。
それ以来、教育業界には関わっていません。
現在はぜんぜん違う畑で社労士の資格を活かした事務職をしています。

【学んだこと】
世の中には、いろいろなお子さんと親御さんがいるということ。
子供の数だけ親にも個性があって、「うちの子はふつうだ」と思いたい親御さんの気持ちも、私自身が親になった今なら、なんとなく分からなくもないです。



【当時の自分へのアドバイス】
「受け流すこと」を覚えてね!です。
自分の理想や、塾講師になったらこんな感じみたいなイメージが先行していた面もあったと思うので、もう少し視野を広く、多角的に物事を見られるようになるといいね!とアドバイスします。
もし本当にその兄弟たちのコマが嫌でも、塾講師という仕事自体に魅力を感じていたのならば、塾長へも声を上げても良かったのかなと思います。
でも、そこまでしなかったのには当時なりの理由があったのかもしれません。